李忠成の件で気分がそのことで高揚しながらも、そこは切り替えて引き続き・・・
流石にこればかりは記事でコラボはできないし(笑)
先ほどのその一でお話したように、小窪とは別にずっと応援し続けている方がいる。
それは、大相撲の楯山親方。
現役時代は、玉春日という四股名で幕内を長く務めた。
途中何度か十両との往復が続いた時期もあったし、一時は引退も視野に入れておられたようだけれど、最後まで諦めない姿勢はずっと健在で、35歳というベテランの域でありながらも見事、3賞を獲得した。
ひたむきな土俵姿そしてファンを大切にする人柄・・・記事では前のブログで如何わしいサイトから勝手に記事が引用されるなど今まで諸事情があってあまり多くを語れませんでしたが、本当に心から尊敬できる方です( ̄人 ̄)
その玉春日関の最後の場所は、奇しくも私が去年最初で最後の市民球場へ観戦しに行った丁度その頃だった。
関取が引退してしまい、寂しさを堪えつつも、まるで応援の対象を広島カープに引導を渡したかのような・・そう思いもした。
けど、実はそうではなかった。
力士は、取的さんとかは別ですが幕内までいった関取衆らは、通常国技館で引退相撲を迎えるんです。
時期的には、引退会見をした7.8ヶ月後くらいか。
玉春日関も、8ヵ月後の5月30日に引退相撲を迎えられた。
力士が現役時代に染み付いていた、象徴でもある髷を切る時である。
私は、正面の前の方のかなりの特等席で、玉春日最後の髷姿を目に焼き付けた。
不思議と涙はそんなに出なかったが、正直言ってまだ実感らしい実感は湧いてこなくて・・・
寂しいけれど、今後は楯山親方としての仕事もされており、所属も相撲協会に引き続き在籍。
場合によって、相撲解説もされている。
そんな要素が寂しくさせていないのかも知れないが、ぽっかり心が空いた・・・そうした表現しかしようがなかった。
カープよりも、サンフレッチェよりも、やはり私は玉春日が1番だった。
それが、広島市民球場と一緒に引退を迎えてしまった。
これからどうしよう・・・と、まるで迷子になったかのような気分がしていた。
昨年9月に引退をしても、髷姿のせいか尚更実感が湧かず、ファンとして気持ちを切り替えなきゃと思いつつうまくいかなかった。
5月に断髪式を目の当たりにして、ようやく新しい人生の幕開けとなったんだ・・・と、そう思った。
だけど、ひと月ごとに楽しみにしていた対象が、もう土俵上にはいない。
相撲を観る度に、勝敗を気にしたり気をもんだり喜んだり悔しがったりすることがなくなってしまった。
そうした矢先に、ふと、野球に目がいった。
そうだ。去年も何度も観に行っても彼の出番をまだ観た事がなかったんだ・・・
小窪の打席を見てみたい・・・今更ながらと思いつつ、自然な成り行きだった。
続く